短歌⑦-「ぬるい梅雨の」
浴槽が梅雨で満ちて体温の
心にも似た柔なぬくもり
くだものを心に乗せて笑い合う
涙も飛沫になると知らずに
縫いあとのほつれた袖から行き渡る 世界は少し優しいポブラ
翡翠から言葉があふれる僕たちは
わすれたくないことも忘れて
忘れたくないことも忘れて消える。ほつれた縫いあとから世界へ、記憶がこぼれ落ちて広がって、満たしていく。かつては空を飛べた箒みたいに、今は野に咲く花とともに、全て忘れて横たわり、あなたを見ている。いつか僕たちも世界に満ちて、忘れていくのだ。
2019/6/8
短歌⑤-「虚像と眼」
継ぎ接ぎだらけの人生に、継ぎ目のない毎日がある。見ないふりをして、見つめる。受け入れながら、拒絶している。この現実こそが幻想であり、幻想にこそ現実がある。そんなことはない。確かに今、私の手には桃が握られている。
踊り場の(触れられないな)柔らかい桃の香りを纏う春風
衣摺れに弛む青空 ゆるやかにカーテンみたいな最期でありたい
祈りから星に変わっていくのだと思う夜汽車に旅の残照
短歌③-「桜と一日」
桜を詠むことを試みました。
何もない日々の延長線上の
君が笑顔でありますように
側溝の桜銀河は果てしなく
広くおもえて手のひらほどで
連れてきた車輪の桜の道しるべ
「次右だっけ?」「 ううん、もう少し、」
生活叙事詩
ちょっと自分の話でもする。
四月から僕の生活の色はがらりと変わった。約一年間の自堕落に埋もれた自宅浪人は終わった。たくさんを手に入れては無駄にして、結果に残る成績は何一つ得られなかった。
専門学校に通うことになった。初めは学校事務を志して公務員の勉強を決意したが、どうやら僕の年齢では既に遅いらしい。コース選択期限も迫る中で、簿記の勉強をする方へ進むことになった。「生きるためにはお金が必要だから、資格でも取らなきゃ」なんて自分を納得させた。
それでも、ただなんとなく資格をとって、なんとなく就職して、なんとなく会社に従順に、盲目に、落ちていく未来の自分を想像するのは怖かった。
「社会の役に立ちたいなんて思わないさ。そんなの退屈だよ」
教育の場所に帰りたいと思った。高校の教壇に立ちたいと、思った。輪郭の曖昧で不確かな自分でも、切り売りできるものがある気がして、そうして生きていきたいと思った。
大学に編入しよう、"ここ"ではない"遠く"にいかなきゃ。そう、確信した。
新しく編成された授業も酷く退屈で苦痛だ。通知されていた授業終わりの時刻は大幅に過ぎて、息継ぎをする暇もなくバイトへ向かう。どうしようもない遅刻の謝罪をして、得られるお金も減って、帰宅すれば、ぼうっとする間も無く、継ぎ目のない明日の生活は来る。それでも不思議と逃げ出したいとは思わなかった。
「人間に何かが足りないから悲劇は起るのではない。何かが在り過ぎるから悲劇が起るのだ。否定や逃避を好むものは悲劇人たり得ない。何も彼も進んで引受ける生活が悲劇的なのである」(小林秀雄「悲劇について」)
悲劇的な生活の先に何があるか、わからない。小さな目標に向かって奔走しながら、辿り着いた目標も、次の目標の過程で。
まだまだ生き足りない。
『生活叙事詩』
2019/4/16
※小林秀雄「悲劇について」『演劇』