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はじまりと雑記。

短歌⑧

  ただ夏を感じて、夏を考えることがないままに私の夏が終わろうとしている。人生、あと幾度となく迎える夏の中に、どれほど忘れられない夏が訪れるだろうか。忘れられない夏はどれほどあっただろうか。夏はいつも活き活きとした死の匂いで充満している。もう帰らない夏も、きっと死んだに違いない。

 

 

 

 

 

 

陽は浜のすべてに等しく降りそそぐ

僕だけが生む影のいとしさ

 

 

 

月は今 微熱の街に飲まれゆく

コーヒーカップは初夏の夢を見る

 

 

 

林檎より赤が出でたる林檎飴

花占いの"きらい"と似ている

 

 

 

君は詩集に気をとられて気づかない

世界の秘密を運ぶ海猫

 

 

 

 

 

2019/8/19

 

 

 

短歌⑦-「ぬるい梅雨の」

 

 

 

浴槽が梅雨で満ちて体温の

心にも似た柔なぬくもり

 

 


くだものを心に乗せて笑い合う

涙も飛沫になると知らずに

 

 


縫いあとのほつれた袖から行き渡る 世界は少し優しいポブラ

 

 


翡翠から言葉があふれる僕たちは

わすれたくないことも忘れて

 

 

 

 

 

忘れたくないことも忘れて消える。ほつれた縫いあとから世界へ、記憶がこぼれ落ちて広がって、満たしていく。かつては空を飛べた箒みたいに、今は野に咲く花とともに、全て忘れて横たわり、あなたを見ている。いつか僕たちも世界に満ちて、忘れていくのだ。

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2019/6/8

 

 

短歌⑥-「無音なる星」

大人になれば忘れることは、大人になってから忘れればいいかな。そうして失ったことにも気付かずに、まだ旅は途中だ。

 

 

 

 

 

街灯の光は淡くいつの日か指でなぞった星 降り注ぐ

 

 

 

 

 

星座の線 途切れるときにもう二度と会えない人に歌を歌おう

 

 

 

 

葉の先にあまつぶ実る放課後のプラネタリウム 手を繋いでみる

 

 

 

指先で紡いだ先にミラ  空はくじら座を飲み吐き出している

 

 

 

短歌⑤-「虚像と眼」

 

 

  継ぎ接ぎだらけの人生に、継ぎ目のない毎日がある。見ないふりをして、見つめる。受け入れながら、拒絶している。この現実こそが幻想であり、幻想にこそ現実がある。そんなことはない。確かに今、私の手には桃が握られている。

 

 

 

 

 

踊り場の(触れられないな)柔らかい桃の香りを纏う春風

 

 

 

 

衣摺れに弛む青空 ゆるやかにカーテンみたいな最期でありたい

 

 

 

 

祈りから星に変わっていくのだと思う夜汽車に旅の残照

 

 

 

 

 

短歌④-「春の翳りに」

 

 

  少し頭を空っぽにしてみました。それでも色々考えている。平成最後の投稿になるでしょうか。では、また、新しい元号と変わらない日々で会いましょう。

 

 

晴れを待つ東屋の隅 睡蓮が世界の終わりを体現している

 

 


新天地ではまず安いカラオケの店を探すことから始める

 

 


すれ違う喧騒 遠くに置きたくて

バッハ流れるイヤホンをさす

 

 


廃線のホーム 君より高い草 僕よりちょっと高い太陽

 

 

 

 

 

2019/4/26  

 

 

短歌③-「桜と一日」

 

 

桜を詠むことを試みました。

 

 

 

 

何もない日々の延長線上の

君が笑顔でありますように

 

 


側溝の桜銀河は果てしなく

広くおもえて手のひらほどで

 

 


連れてきた車輪の桜の道しるべ

「次右だっけ?」「 ううん、もう少し、」

 

 

 

 

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生活叙事詩

 

  ちょっと自分の話でもする。

 

  四月から僕の生活の色はがらりと変わった。約一年間の自堕落に埋もれた自宅浪人は終わった。たくさんを手に入れては無駄にして、結果に残る成績は何一つ得られなかった。

 

 

  専門学校に通うことになった。初めは学校事務を志して公務員の勉強を決意したが、どうやら僕の年齢では既に遅いらしい。コース選択期限も迫る中で、簿記の勉強をする方へ進むことになった。「生きるためにはお金が必要だから、資格でも取らなきゃ」なんて自分を納得させた。

 

 

  それでも、ただなんとなく資格をとって、なんとなく就職して、なんとなく会社に従順に、盲目に、落ちていく未来の自分を想像するのは怖かった。

 

 

 

 

「社会の役に立ちたいなんて思わないさ。そんなの退屈だよ」

 

 

 

 

  教育の場所に帰りたいと思った。高校の教壇に立ちたいと、思った。輪郭の曖昧で不確かな自分でも、切り売りできるものがある気がして、そうして生きていきたいと思った。

 

 

  大学に編入しよう、"ここ"ではない"遠く"にいかなきゃ。そう、確信した。

 

 

 

 

  新しく編成された授業も酷く退屈で苦痛だ。通知されていた授業終わりの時刻は大幅に過ぎて、息継ぎをする暇もなくバイトへ向かう。どうしようもない遅刻の謝罪をして、得られるお金も減って、帰宅すれば、ぼうっとする間も無く、継ぎ目のない明日の生活は来る。それでも不思議と逃げ出したいとは思わなかった。

 

「人間に何かが足りないから悲劇は起るのではない。何かが在り過ぎるから悲劇が起るのだ。否定や逃避を好むものは悲劇人たり得ない。何も彼も進んで引受ける生活が悲劇的なのである」(小林秀雄「悲劇について」)

 

 

  悲劇的な生活の先に何があるか、わからない。小さな目標に向かって奔走しながら、辿り着いた目標も、次の目標の過程で。

 

 

 

  まだまだ生き足りない。

 

 

 

 

 

『生活叙事詩

2019/4/16

 

 

 

小林秀雄「悲劇について」『演劇』