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はじまりと雑記。

生活叙事詩

 

  ちょっと自分の話でもする。

 

  四月から僕の生活の色はがらりと変わった。約一年間の自堕落に埋もれた自宅浪人は終わった。たくさんを手に入れては無駄にして、結果に残る成績は何一つ得られなかった。

 

 

  専門学校に通うことになった。初めは学校事務を志して公務員の勉強を決意したが、どうやら僕の年齢では既に遅いらしい。コース選択期限も迫る中で、簿記の勉強をする方へ進むことになった。「生きるためにはお金が必要だから、資格でも取らなきゃ」なんて自分を納得させた。

 

 

  それでも、ただなんとなく資格をとって、なんとなく就職して、なんとなく会社に従順に、盲目に、落ちていく未来の自分を想像するのは怖かった。

 

 

 

 

「社会の役に立ちたいなんて思わないさ。そんなの退屈だよ」

 

 

 

 

  教育の場所に帰りたいと思った。高校の教壇に立ちたいと、思った。輪郭の曖昧で不確かな自分でも、切り売りできるものがある気がして、そうして生きていきたいと思った。

 

 

  大学に編入しよう、"ここ"ではない"遠く"にいかなきゃ。そう、確信した。

 

 

 

 

  新しく編成された授業も酷く退屈で苦痛だ。通知されていた授業終わりの時刻は大幅に過ぎて、息継ぎをする暇もなくバイトへ向かう。どうしようもない遅刻の謝罪をして、得られるお金も減って、帰宅すれば、ぼうっとする間も無く、継ぎ目のない明日の生活は来る。それでも不思議と逃げ出したいとは思わなかった。

 

「人間に何かが足りないから悲劇は起るのではない。何かが在り過ぎるから悲劇が起るのだ。否定や逃避を好むものは悲劇人たり得ない。何も彼も進んで引受ける生活が悲劇的なのである」(小林秀雄「悲劇について」)

 

 

  悲劇的な生活の先に何があるか、わからない。小さな目標に向かって奔走しながら、辿り着いた目標も、次の目標の過程で。

 

 

 

  まだまだ生き足りない。

 

 

 

 

 

『生活叙事詩

2019/4/16

 

 

 

小林秀雄「悲劇について」『演劇』