ライトダウン

はじまりと雑記。

成人式

 私は、式における様々なやり残しによる虚脱感と、旧友との再会で仮面をつけたことによる自己疎外感に襲われながら成人式の会場を後にした。満足に成人式を終えられずに不完全燃焼に陥った心は、「誰かと時間を共有したい」というただ一心のみで燻っていた。帰宅の途に就く私は、燻った心のままに家へは帰らずに付近の大型スーパーのトイレで虚空を見つめながら一時間以上、茫然と時がたつのを待った。このままでは新調したスーツを脱ぎ、また等しく訪れる日常へ帰ることはできない。何もせずいればただ虚しさと時間が過ぎ去るだけだ。それを望んではいない私は、高校時代に特に仲良くしていた友人たちに声をかけた。折よくも声をかけた友人は、私同様、中学の同窓会には出席しておらず、都合よく誘いに応じてくれた。(この時点で少なくとも私は自らの進路の選択や人間関係の漸進的な構築から逃げた故に、中学・高校ともに同窓会に出席しなかったことに対するコンプレックスを感じていたのは隠すまでもなく自覚の及ぶところであった。)

 高校を卒業してからもたびたび顔を合わせていた友人と集う。私含め四人が一堂に会する頃には既に22時を迎えようとして、街は二次会やれ、三次会やれとにぎわいを見せているところであった。少し歩いて、酒に酔った者たちの大きな声が飛び交う居酒屋で腰を落ち着けた。成人式を経ての身の上の話を軽くした。ただそのひと時だけで「面白い」という感覚が私の身に沁みた。「過去の私」とは変わってしまった「今の私」を受け入れてくれる存在として向き合う彼らと言葉を交わす瞬間が私にとってなによりの心の安寧であることを再発見した。中学・高校を卒業したその瞬間に止まってしまった「過去の私」という仮面をつけることでしか接することができなかった成人式の旧友の集い。そこにはないあたたかさが確かに居酒屋にはあった。やりきれない気持ちで燻っていた私の心が再び動きだすことが何より嬉しくて、心あるままに語らいあう。改めて、卒業を経験しても今の私と仲睦まじい関係を構築してくれる人間を大切にしなければならない。強い実感と共に、まだ長く続いていく道の先へ歩いていくことの大切さに身を引き締めた。

 このような文章をブログとして残すことには若干の抵抗がある。チラシの裏にでも書き綴って机の引き出しの奥底で眠らせるのが良いのかもしれないが、一度きりの成人式である。表で騒ぎ立てる同窓会のにぎわいの遠くで、ぼんやりと、粛々と、裏同窓会が確かに行われていたことを証明するために、この記事を私は投稿する。